人と風土が織りなす、庶民の芸術。
はじまりは少女のひらめき。
福岡県の南部地域、筑後地方で200年続く久留米絣の歴史。
そこには、多くの名もなき人々の存在があります。
決して史実には載ることのない、市井の人々。久留米絣が庶民の芸術といわれる所以です。
一人の少女からはじまり、その土地の女たちが織り進め、男たちは効率を良くする方法を考え技法や、機械を考案。
農家の副業はいつしか土地を代表する産業になり、それでもなお土着的な要素を失わずに、現在まで作られ続けてきました。
手工業の趣きを失わず、木綿の風合いを生かしながら。父の、母の仕事を受け継ぎながら。
はじまりはまだ幼い、井上伝という農家の娘のひらめきでした。
その時、彼女はまだ12歳だったといわれています。
好奇心が強く、向上心あふれる伝はある日、自分の衣服にできた白い斑点に気付きます。
ふと思い立って糸を解き、考え、糸束を括り防染する方法を生み出しました。
これは現在にも残る重要な工程「括り」という技法。
そうしてできた糸を使い織物にすると、生地面に雪降るような白い点が散ったのです。
これこそ、久留米絣の初めての柄模様であり、今日まで続く長い歴史の第一歩でした。
井上伝が久留米絣を創成したのは1799年頃だと伝えられ、
弟子は1000人にも及び、その内400人程が各地に散らばり織物業をはじめたそうです。
久留米絣が生まれた福岡県筑後地方は土壌が豊かで、水のきれいな農村地域。
九州最大の流れである筑後川と肥沃な大地が綿花や藍を育み、木綿絣の産地として発展しました。
人々は農閑期の副業として絣を織り、町中に機の音がこだましていたとか…。
最盛期に比べるとその数はわずかですが、現在も福岡県筑後市、広川町、八女市周辺には機屋が立ち並んでいます。
特筆すべき点は「なおも進化を続けている」ということ。
時代に呼応するように色柄を変え、風合いを変えながら今に息付いています。
久留米絣の、素朴で透き通った魅力。
日常に寄り添った美しさ。
かろやかで、しなやか。
計算では生み出せない、“ゆらぎ”や“にじみ”の趣き。
柔らかな陰影。
用いる糸や柄の変化によって、いくつもの表情を見せ、
プリントとはまた違う、織りで表現するゆえの味わいがあります。
優しく心地の良い手触りは、綿糸を使い、繊維加工はせずに水洗いと天日干しで仕上げるから。
ほっと気持ちが和むような、まるで日なたのぬくもりに包まれているような安心感も、
そこから生まれてくるのかもしれません。
小幅であることもまた、風合いの良さをさらに引き出しています。
広幅に比べて緯糸にかかる張力が少ないので、木綿の柔らかさが保たれるのです。
着れば着るほど、洗えば洗うほど、柔らかく肌になじんでいくので、長く愛用できるのも魅力のひとつ。
膨大で細やかな工程を必要とし、長い時間をかけて完成する久留米絣には、
作り手が見た季節の色、風の匂い、葉擦れの音が、風土と一緒に織り込まれています。
人の暮らしの中で生まれ、日常に寄り添ってきたからこその、
明るく清らかで健やかなる美が、そこにはあります。
*久留米絣の製作工程については「久保かすり織物のこと|21の作業工程」をご覧ください。
*久留米絣についての書籍『久留米かすり本』もぜひご覧ください。